戦前の御朱印帳 ⑥ 宮城・北陸編
先々代 宮司の御朱印帳 ⑥
宮城・北陸編
昭和17年~18年
何れも社印のみで墨書無し。
日付などは祖父の文字です。
塩竈神社 (宮城県塩竈市)
昭和17年7月5日
塩竈神社と志波彦神社の印が一緒に押されています。
現在は別々ですね。「参拝」の文字も当時ならでは。
青葉神社 (宮城県仙台市)
現在と同じデザインのようです。
白山神社 (新潟市)
昭和17年7月6日
現在の社印とは異なります。
「大東亜戦争 必勝祈願」の印も
仙台の次の日です。
朱印帳を見ると、7月4日/明治・香取・鹿島 → 5日/仙台 → 6日/新潟 と 強行日程。
蒸気機関車の時代。移動時間も現在の比ではありません
なぜこのようなスケジュールだったのでしょうか?
気比神宮 (福井県敦賀市)
昭和17年8月
現在は角印です。
日枝神社 (富山市)
昭和17年10月
「縣社」の文字が入るデザイン。
昭和20年 富山空襲で社殿など被災しております。
天津神社 (新潟県糸魚川市)
昭和18年10月
姫川特産の翡翠勾玉がモチーフの参拝記念印
現在の御朱印は角印ですが、上部の丸い神印は使用されています。
H29 長野県神社庁の研修で天津神社 参拝しました。
茅葺き屋根の大きな拝殿が素晴らしい神社。
祖父はよく旅に出ているな。という印象です。
昭和17年~18年は、まだ国内の移動も自由?
昭和19年~戦後しばらくの間(旅行したのかも知れませんが)、
御朱印帳が遺っておりません。
もう少し探してみようと思います…