戦前の御朱印帳 ⑧大阪・兵庫・滋賀編

先々代 宮司の御朱印帳 ⑧ 

大阪・兵庫・滋賀 編 

昭和8年の御朱印は、持参した和紙に捺印していただいたき、後に貼り付けております。
何れも社印のみで、日付などは祖父の筆跡です。

 

日付順です。

生國魂神社 (大阪市天王寺区)

 生國魂 S8.jpg
昭和8年4月20日

現在とは異なる字体。
昭和20年3月の大阪大空襲で被害を受けております。

 

 住吉大社 (大阪市住吉区)

住吉 (3) S8.jpg
昭和8年4月20日

現在と同じ角印ですが、太さが微妙に異なるような…


生田神社 (神戸市)

生田 S8.jpg 
昭和8年4月21日

現在と同じデザイン。
昭和20年 神戸も、幾たびか空襲されました。
生田神社の社殿は全焼しましたが、ご神体は難を免れれたと伺います。
御朱印も戦火を乗り越えたのでしょうか?

(平成の御代は、もう少し太い字体だったように思います。)

  

湊川神社 (神戸市)

湊川 S8.jpg 
昭和8年4月21日

楠木正成公を祀る湊川神社。
現在とは字体が異なります。 
こちらも空襲で被災した歴史。

「菊水」も文様は現在も使われております。

 

昭和8年4月20~21日大阪・神戸に滞在した25才の祖父は、
翌22日に名古屋(熱田神宮)、更に23日東京(明治神宮)を参拝しています。

 

ここから、細長い朱印帳に変わります。 

阿部野神社 (大阪市阿倍野区)

阿倍野 S14.jpg 
昭和14年3月 


北畠親房公を祀る神社。
祖父は『神皇正統記』を愛読していた記憶があります。 

現在とは異なる社印です。
阿倍野も空襲の被害が大きかった地域。


多賀大社 (滋賀県多賀町)

多賀 S14.jpg 

 

昭和14年3月

現在と同じ字体ですが、微妙に違うような…

 

四條畷神社 (大阪府四條畷市)

四條畷 S14.jpg  
昭和15年5月

菊水紋が立派な御朱印
2頁にわたる印ですが、残念ながら中央部分が破れております。

現在は「別格官幣社」の文字が無いデザインです。

祖父は湊川・阿部野・四條畷と南朝側の神社によく参拝しているようです。

御朱印帳はこの後、橿原神宮・吉野神宮と続いております。

 

大鳥神社 (堺市)

大鳥 S15.jpg
昭和15年

現在とは異なる社印。「千種の宮」の印は珍しいでしょうか

 

坐摩神社  (大阪市中央区)

坐摩神社? (2) S15.jpg 
昭和15年

「いかすり神社」通称「ざま神社」 
「坐」の文字がこうなるのか?
判読が難しかったです。

こちらの社殿も、昭和20年3月大阪空襲で焼失したそうです。
 

難波神社  (大阪市中央区)

難波 S15.jpg
昭和15年 

現在とは異なる社印。
こちらのお社も、昭和20年3月 大阪空襲で被災しております。
社印も被害に遭ったのでしょうか?

 

この後、御朱印帳は更に小さく。(縦12センチ×横8センチ))
DSC_2035.jpg

しかし、当時は墨書無しの社印のみなので、このサイズでも大丈夫だったのでしょう。

 


近江神宮  (滋賀県大津市)

近江 S18.jpg
昭和18年3月

現在と同じデザインですが、字体が一部、微妙に異なるような…

 

日吉大社 (滋賀県大津市)

日吉 S18.jpg 
昭和18年3月

現在と異なる御社印ですが、「神猿」も印は同じでしょうか

 

建部大社  (滋賀県大津市)

武部 S18.jpg 
昭和18年3月

日本武尊を祀る近江一ノ宮
現在の御社印とは異なります。
袋は、古事記に記される日本武尊の伝承にちなんだものでしょうか?
(火打ち石の入った袋?)


枚岡神社 (東大阪市)

枚岡 S19.jpg 
昭和19年5月? 6月?

河内国一ノ宮
現在の御朱印とは異なります。

 

昭和8年 → 19年

だんだん御朱印帳も小さくなり、厳しい時代を感じます。

実際、大阪・神戸も空襲被害が酷く… 

戦前、日本の統治委任領だったサイパン・テニアン島と、開戦後 日本がアメリカから獲得したグアム島。
この南洋諸島は、B29爆撃機が日本本土へ往復出来る、丁度良い距離に位置していました。

空襲を防ぎたい日本軍と米軍は、昭和19年春~夏、この島々を戦場に激しい戦いを繰り広げます。
陸軍松本五十連隊などの奮闘空しく、日本軍は玉砕。
数多の将兵・在留邦人や現地の方が犠牲になりました。

そして日本が憂いた通り、米軍は大規模な空襲を開始しました。
広島・長崎に投下された原爆も、テニアン島から…

長野県の神職有志は、テニアン島に慰霊斎場を設け、毎年 慰霊祭を行っております。
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令和元年5月 テニアン島で戦没者慰霊祭
このときは私が斎主を務めさせていただきました。
日米両軍・在留邦人や現地の方の御霊を和め、永遠の平和を祈りました。


御朱印から話が脱線しました。
これを記しながら
歴史にもし? が有ったなら… を考えさせられました。